
お久しぶりです。江戸マグロです。ブログを書くのは約1年ぶり?となります。
何を書いていたかも忘れてしまったので、僕が最近読んだ「ひゃくえむ。」という漫画の感想を書いていきます。
「ひゃくえむ。」は魚豊さんという方が書かれた漫画ですね。
魚豊さんは「チ。ー地球の運動についてー」の作者でもあります。
魚豊さんは、何か人間の根底にある感情、特に情熱のようなものを、描き出すのが上手いですよね!
「ひゃくえむ。」も「チ。」もそうなのですが、読んでいると何か忘れていたような、自分自身の純粋な思いを見つめ直すきっかけになる作品だと思います。
「ひゃくえむ。」は陸上競技の100m走を描いた作品ですが…
実際は人間の挫折や敗北、勝利への渇望、理想と現実のギャップなど、現代の私たちも抱えている悩みにフォーカスした作品となっています。
主人公のトガシ君は、少年時代は全国トップの陸上選手だったのですが、年齢を重ねるにつれて、徐々に伸び悩むことになります。
その反面トガシ君の周りには、小宮君など、かつては実力で勝っていながら、現在はその差が逆転しまったライバルが登場します。
トガシ君は、このような現実に対して見て見ぬふりを続け、自分自身の感情に蓋をして、陸上競技を続けます。
そして、最終的にはスポンサー企業から契約を切られ、万事休すの状態となってしまいます。
ここで初めて、トガシ君は現実を受け取め、泣き崩れます…
しかし、ここで折れないのがトガシ君です。
現実に目を向けたことによって、もう一度走りたいという思いがこみあげてくるのです。
そして、再び日本陸上に出場し、小宮君などのライバルと熱戦を繰り広げます。
そして、トガシ君は日本陸上100m走で優勝!…したのか不明のまま完結となります。
これだけ読むと、もどかしい終わり方ですが…
実際に読んでみると清々しく気持ちのいい終わり方なんですよね!
海棠の現実逃避とは何か
「ひゃくえむ。」には、たくさんの陸上選手が登場しますが、その一人が海棠(かいどう)選手です。
彼は、万年二位の選手で、ライバルの財津選手に勝つことができません。
普通なら、ライバルとの差に挫けてしまいそうですが…
海棠は、この差を「現実逃避」という方法で克服しようとします。
現実逃避というと、あまり良くない言葉のように聞こえますが、彼の「現実逃避」は少し意味が違います。
通常の現実逃避は…
見たくない現実から目を背ける→逃げるのみで行動はしない→現実は残る
みたいな感じだと思います。
海棠の現実逃避は…
現実を受け止める→その現実を覆すべく行動する(この段階を海棠は現実逃避と呼ぶ)
みたいな感じです。
普通の人であれば現実を受け止めることすらできません。
現実を受け止めることで、自分の敗北、限界を直視することが怖いからです。
しかし、海棠は現実を受け止め、自分の限界・敗北を見せつけられても、自分に期待し、次こそは自分が勝つと信じ切っています。
この姿勢が、海棠流現実逃避という行動に繋がっています。
海棠の存在は、現代社会を生きる私たちの多くが忘れていた感情を甦らせるものだと思います。
私たちは、自分の想いに蓋をして、逃げます、妥協します。
なぜかって、その想いが溢れ出すことによって、敗北、限界、人からの評価などを目の当たりにして、自分の想いが実現しないことを直視するのが怖いからです。
つまり、現実に恐れをなし、自分を見捨てていると言えます。
しかし、このような状態は、どこか寂しく、どこか心に違和感が残ります。
だからこそ、私たちは海棠という人物に、心を揺さぶられるのではないでしょうか?
私たちの人生は科学的に見れば、一度きりです。
それなら、自分自身の純粋な想いを噴出させ、それによって纏わりつく残酷な現実を振り切り、自分の想いを体現しようとする姿勢こそ、人間らしい生き方なのではないでしょうか?

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